天理教について

概要

天理教は、江戸時代の天保9年(1838 年)、教祖・中山みきによって始められました。
現在、日本国内を中心に、約1万7千の教会があります。信者数は200万人を数え、その教えは海外80カ国に広がっています。

天理教信仰の中心は、親神・天理王命(おやがみ・てんりおうのみこと)によって人間創造の地点と教えられる聖地「ぢば」です。奈良県天理市に位置し、天理教教会本部の神殿と礼拝場は「ぢば」を取り囲むように建てられています。
全国各地の天理教の教会は、この「ぢば」の方角を向いて建てられています。信仰者は教会から「ぢば」に向かって、人々の幸せと救いを親神様に祈ります。 また、教会を拠点に、他者への奉仕を通じて地域社会に役立つ活動を行っています。

天理教は、世界中のすべての人々が、親神様に守られ生かされて、仲睦まじくたすけ合う「陽気ぐらし」世界の実現を目指しています。

陽気ぐらしの教え

そもそも、私たちが暮らすこの世界は、どうやって創られたのでしょうか。人間は何のために生きているのでしょうか。そうした、人々が古来持ち続けてきた根本的な問いに対する明確な答えが、天理教では具体的に示されています。
親神・天理王命は、人間が互いにたすけ合う「陽気ぐらし」の姿を見て共に楽しみたいとの思いから、人間と自然界を創り、これまで絶え間なく守り育んできました。人間に体を貸し、果てしなく広く深い心で恵みを与え、「親」として温かく抱きしめ、教え導いています。

人間創造の目的である「陽気ぐらし」に近づく生き方を、教祖(おやさま)を通して教えられた私たちは、日々の生活の中で「陽気ぐらし」にふさわしい心になるよう、親神様から大きな期待がかけられているのです。それは、自己中心的な心遣いをやめて、他者の幸せを願い、たすけ合う心へと成長していくことです。
私たちや周りの人々に、病気やつらいことが起こったときでも、それは私たち人間の心を育てるための“神様からの手引き”にほかなりません。つらく悲しい出来事でさえ、実は神様による導きであるという真実に目覚めたとき、何ごとも前向きに受けとめ、明るく陽気に生きていくことができるでしょう。さらに、その思いは、神様に対する感謝と喜びを生み、私欲を忘れて他者のために行動する「ひのきしん」へとつながっていきます。

天理教の信仰はすべて、教祖・中山みきの口を通して教えられた親神・天理王命からの啓示に基づいています。 教祖は、「陽気ぐらし」に近づく生き方を、私たちに分かりやすい言葉で伝え、文字に記し、自らの行動で教えました。なかでも、教祖の直筆による「おふでさき」を含む天理教原典と、それに基づく『天理教教典』は、信仰の揺るぎない拠りどころとなっています。

基本教理1「十全のご守護」

親神様の広大無辺なご守護を、十の守護の理をもって体系的に説き分け、それぞれに神名を配し、分かりやすく、覚えやすいようにお教えくださっています。「十柱の神名」と呼ばれることもありますが、決して十柱の神々がおられるという意味ではありません。

  • 「くにとこたちのみこと」 人間身のうちの眼うるおい、世界では水の守護の理

    人間の眼の働きを始め、世界では水の潤いを与えて、万物をお育て下さっています。 人間は眼で見分けするので、何事もできるし、楽しみも味わえます。物の黒白、曲直、遠近、長短、善悪の区別ができるのも眼のお陰です。陽気ぐらしに欠かせないのが眼の働きです。
    また、水は人間の身体にはなくてはならないもので、飲み水はもちろん、水があるから煮炊きも洗濯も掃除もできます。また、田畑に作物が育つのも、すべて水の働きがあってのことです。
    「くにとこたちのみこと」のおはたらきにかなうのが水のような心、すなわち、いつも低いところに流れていく水のように、誰にでも頭を低くして通る謙虚で慎み深い心。どのような形にでも順応する水のように、親神様の思召に逆らわず、周りの人の心に合わせて通る素直な心。水の潤いのように人を潤わせる心。自らは汚れ役を担い、他を美しくする無私の心。陰で尽くす真実の心です。
    反対に他人の欠点ばかりを見て不足する、人の幸せをうらやむ、神の理を立てずに自分の思いばかりを立てたがるというのでは、このご守護の理に反することになります。何事も天の鏡に映ることを忘れて、人の目をくらまし、金銭をごまかし、信義・愛情を裏切る事が重なれば、「くにとこたちのみこと」のご守護が頂けなくなります。
    日頃からこのご守護の理にかなう水の心を忘れずに、先案じをせずに親神様にもたれて通る態度を養い、何事も見て楽しみ、結構という理を味わう日々を過ごすことが大切だと教えられています。

  • 「をもたりのみこと」 人間身の内のぬくみ、世界では火の守護の理

    人間の身体では、体温を保つ働きをして下さり、世界では一年十二ヶ月、一日昼夜十二刻二十四時間の運行を支配し、春夏秋冬の変化に応じた気温をはじめ、すべてのぬくみに、火に関わるご守護を下さっています。
    人間の身体はぬくみがなくなれば単なる物体になります。しかし、熱がありすぎても命が危うくなります。「をもたりのみこと」のほどよいぬくみのご守護で命が保たれるのです。
    また、この世は太陽の光とエネルギーがなければ成り立たず、生物の成育、活動はぬくみのご守護があってこそです。
    「をもたりのみこと」のご守護の理にかなうのはぬくみの心。隔てなく照らす温かい情愛の心。求めることなく尽くす一方、日々寸秒の休みもなく変わらぬ誠の心で働く心です。すなわち、誠真実、やさしい心がこのおはたらきの理にかなうのであり、恩に着せるむごい心や、出し惜しみ、骨惜しみ、負け惜しみ、尽くし惜しみの、惜しい心は、「をもたりのみこと」の隔てないお働きの理に沿いません。 朝は日の出より早く起き、尽くす一方で働いて、日々年々変わらぬ温かい心で通れば、「をもたりのみこと」のご守護を、欠けることなく頂けるようになります。

  • 「くにさづちのみこと」 人間身の内の女一の道具、皮つなぎ、世界では万つなぎの守護の理

    人間の身体では、皮膚と皮下組織、内臓皮質、筋肉の働きと女性の生殖器官の働きの守護をして下さり、世界では人と人との関係、すなわち、縁談・家族、金銭関係、経済を司るご守護をして下さっています。
    皮つなぎのご守護で包まれているから、人間をはじめとする生物の姿形、個体ができる。個が縁で結ばれて夫婦・家族ができる。家族と家族がつながれて社会ができる。また、女一の道具の働きで子供が産まれ、親子、子孫のつなぎができる。世界経済が繋がり、それぞれの衣食住が確保される。これすべて、「くにさづちのみこと」としてのご守護です。

  • 「月よみのみこと」 人間身の内の男一の道具、骨つっぱり、世界では万つっぱりの守護の理

    人間の身体では、骨格器官、関節、靭帯、男の生殖器のご守護をして下さり、世界では草木をはじめ地上に自ら立っているものすべてを支えて下さっています。
    人間が立っこと座ること、寝ること起きること、関節の折りかがみで思うように身体が動き、力を出して支えることができる。また、男一の道具もつっぱれる。草木が伸びるのも建造物が聳え立つのも、「月よみのみこと」のつっぱりのご守護であります。
    「月よみのみこと」のおはたらきの理にかなうのは、勢いよくつっぱる心。何事も率先して立ち働き、人を手伝い、人を背負って通る心。「一に勢い」で通る心です。反対に、理屈・強情・欲の心でつっぱること、自分の顔が立たんと腹を立てること、怠け心で骨惜しみをすることは、「月よみのみこと」のご守護が頂けない原因になります。お与え頂く御用、仕事は一身に引き受けて、神様の理を立て切って働くことが大切だと教えられています。

  • 「くもよみのみこと」 人間身の内の飲み食い出入り、世界では水気上げ下げの守護の理

    人間の身体では、消化吸収と排泄、消化器・泌尿器、循環器一切を司り、世界では水及び水蒸気の循環に関わるご守護して下さっています。
    地球に命が存在できるのは、世界の水の循環があればこそ。飲み食い出入り、血液の巡りも皆水の循環です。空からの雨が山から下ったり地下から湧き出て、飲み水や田畑の潤いとなるのも水の循環のお陰です。さらには、太陽から地球へのエネルギーの吸収、地球から宇宙への廃熱の放出も水の循環の働きです。このご守護があればこそ、地球の気温が保たれるのです。
    「くもよみのみこと」のおはたらきの理にかなうのは、自由闊達でお礼やお願い、お詫びも精一杯にさせてもらう悪びれぬ心。出入りの順序を間違えずに出すことを喜びとする心。報恩、感謝、親孝行の実践です。
    食物、金銭、財産、物質の先案じと溜め込み、また、特に天候への不足は「くもよみのみこと」のおはたらきの理を頂けないことになりかねません。天からの与えを重く受け止め素直に喜んで、とらわれない心で通ることが大切だと教えられます。

  • 「かしこねのみこと」 人間身の内の息吹き分け、世界では風の守護の理

    人間の身体では、呼吸器一切、音声・言語聴覚機能を司り、世界では大気の対流、気候の変化、また、人間相互のコミュニケーションを司って下さいます。
    人間が呼吸できるのは、のどで食物と空気の出入りが分けられるからで、言葉が使えるのも耳が聞こえるのも、匂いを嗅ぎ分けられるのも「かしこねのみこと」のおはたらきです。風の働きで気温が変化し、雨雲が風によって海から陸に運ばれて恵みの雨をもたらし、鳥や飛行機が空中を飛べるのも、皆「かしこねのみこと」のご守護があってこそです。
    このおはたらきの理にかなうのは、良きものは身に付け悪しきものは身に付けない、使い分けを間違えぬ心。自分の心を人の下に置いて、人の分け隔て差別をせぬ心です。
    強情、理屈の心より言葉で人を強く責めたり、人の忠告を逆恨みして我が心を腐らしたり、喜びの心少なく愚痴多く通るのは「かしこねのみこと」のご守護の理にかないません。
    言葉で人の心を勇ませる。聞くべきところ、言うべきところを間違えぬようにして、自分の心や周りの人の心を腐らすことがないように、息一つ言葉一つを使い分けることが大切だと教えられます。

  • 「たいしょく天のみこと」 出産の時、親と子の胎縁を切り、出直しの時、息を引き取る世話、世界では切ること一切の守護の理

    人間の生き死に、縁切り、口中の歯、指先の爪、体内からの免疫反応などの機能を司り、世界では刃物の切れ味、物質の変化、変動の働きを司って下さいます。
    出産と同時に胎縁が切れるから、この世のものになれる。出直しの時に息が切れるから、この世と別れられる。歯や爪で引き裂きかみ分けて、食物の命を人の命へ切り替えて栄養とし、老廃物を排出して代謝するので健康が保たれる。また、不純物が体内に入るのを拒否する免疫作用が、身を守るのです。また、はさみ、包丁、ナイフ、のこぎりなどの切れ物道具一切のご守護、大地の変動で山や平野ができるのも、「たいしょく天のみこと」のご守護です。
    「たいしょく天のみこと」のご守護の理にかなうのは、万事周到に準備して切る、そうでなければ切ることはしないという心。その中、未練、執着、我欲の思いは潔く断ち切る心です。
    常日頃から出すべきものは思い切りよく出し、惜しまずに施していく。また、家族、親族、地縁、血縁の関係を自ら切ることがないようにする。しかし我さえ良くばの悪いんねんを積んだ結果できたような物や金への執着はきっぱりと断ち切って、人をたすける心の道、白いんねんへの切り替えの道を通ることが大切だと教えられます。

  • 「をふとのべのみこと」 出産の時、親の胎内から子を引き出す世話、世界では引き出し一切の守護の理

    人間のお産、世界ではあらゆるものの出生、発芽、生育、また、技術・技量を司って下さいます。
    お産の時はこのご守護の理で引き出され、「たいしょく天のみこと」のおはたらきで胎縁をきってくださり、「くにさづちのみこと」のご守護で息をつないで下さいます。
    体力、知力を引き出しのばして下さる。社会で立身出世させて下さる。世界で万物が種から芽をふく力を与えて下さるのも、これ皆、「をふとのべのみこと」のご守護です。
    「をふとのべのみこと」のご守護にかなう心遣いは、物の値打ち、人の値打ちを引き出す心です。物については結構という理を味わうこと、人については人をほめ、人を立て、人を育てる心です。
    廃る物を生かし、幼い物を育てる上で自らが玄人にならせてもらう努力をし、人助け・子育てに励むことが大切だと教えられています。

  • 「いざなぎのみこと」 男雛型・種の理

    人間をお創り下された時の男雛型、種の理。人間の子種のご守護、世界では種物一切、子種、物種を司って下さいます。
    人間をはじめ動物も植物も種があってこそ子孫が続く。代々種に還って生まれ更るから品種改良、成人が進むのです。
    「いざなぎのみこと」のご守護の理にかなう心遣いは、脇目もふらず真一文字に向こうへ向こうへと進んでゆく一条の心。素直正直の心、苦労は楽しみの種と、何でもどうでもの精神で、理の種を蒔く心。おつとめの勤修に一心に励む心です。
    一条心にもたれて、神の田地に種を蒔くことが大切だと教えられています。

  • 「いざなみのみこと」 女雛型・苗代の理

    人間をお創り下された時の女雛型、苗代の理。女子の子宮、卵子、月のものと受胎のご守護、世界では、田地苗代もの一切を司って下さいます。子供が母親の胎内に宿って成長できるのも、植物が地に根を張り育つのも、皆、「いざなみのみこと」のご守護です。
    このご守護の理にかなうのが、苦労を厭わずたすけ一条に励む心、母なる大地のようにすべてを抱えて受け入れる心、種を腐らさぬよう、芽を出し根が付くよう育てる心です。

基本教理2「八つのほこり」

人間の身体は、親神様からのかりもので、心だけが自分のものであります。身体をはじめ、身の周りの一切は銘々の心通りにご守護下さいます。
親神様の思召に沿わない、自分中心の心遣いを「ほこり」と仰せられます。ささいな「ほこり」の心遣いも積もり重なると、ついには十分なご守護を頂けなくなります。そこで親神様の教えをほうきとして、たえず胸の掃除に努めるとともに、人には「ほこり」を積まさぬよう心を配らねばなりません。
ほこりの心遣いを掃除する手掛かりとして、「をしい」「ほしい」「にくい」「かわい」「うらみ」「はらだち」「よく」「こうまん」という「八つのほこり」をお教え頂いています。
また、「うそ」と「ついしょう」これ嫌いと教えてくださっています。

八つのほこり

  • 「をしい」とは、

    心の働き、身の働きを惜しみ、税金など納めるべきものを出し惜しみ、世のため道のため、人のためにすべき相応の務めを欠き、借りたる物を返すのを惜しみ、嫌な事は人にさせて、自分は楽をしたいという心。すべて、天理に適わぬ出し惜しみ、骨惜しみの心遣いはほこりであります。

  • 「ほしい」とは、

    心も尽くさず、身も働かずして、金銭を欲しがり、不相応に良き物を着たがり、食べたがり、また、あるが上にも欲しがるような心。

  • 「にくい」とは、

    自分のためを思って言ってくれる人に、かえって気を悪くして反感を持ち、あるいは、自分の気に入らない、癪に触ると人を毛嫌いし、陰口を言って、そしり笑うような心。また、銘々の身勝手から夫婦、親子などの身内同士が、いがみ合うのもほこりであります。

  • 「かわい」とは、

    わが身さえ良ければ、人はどうでもよいという心。わが子を甘やかして、食べ物、着る物の好き嫌いを言わし、仕込むべき事も仕込まず、間違ったことも意見せず気ままにさせておくのは、よろしくありません。また、わが身を思って、人を悪く言うのもほこり。わが身わが子が可愛ければ、人のことも思い、人の子も可愛がらねばなりません。

  • 「うらみ」とは、

    顔をつぶされたとて人を恨み、望みを妨げられたとて人を恨み、誰がどうやったとて人を恨み、根に持ち、銘々、知恵・力の足りないことや、德のないことを思わず、人を恨むのはほこりであります、人を恨む前に、わが身を省みることが大切であります。

  • 「はらだち」とは、

    腹が立つのは気ままからであります。心が澄まぬからであります。人が悪いことを言ったとて腹を立て、自分の主張を通し、相手の言い分に耳を貸そうとしないから、腹が立つのであります。これからは腹を立てず、天の理を立てるようにするのがよろしい。短気や癇癪は、自分の德を落とすだけでなく、命を損なうことがあります。

  • 「よく」とは、

    人より多く身に付けたい、何が何でも取れるだけ取りたいという心。人の目を盗んで数量をごまかし、人の物を取り込み、あるいは、無理な儲けを図り、暴利をむさぼる。何によらず、値を出さずに我が物にするのは強欲。また色情に溺れるのは色欲であります。

  • 「こうまん」とは、

    思い上がってうぬぼれ、威張り、富や地位をかさに着て、人を見下し、踏みつけにするような心。また、目上に媚び、弱い物をいじめ、あるいは、頭の良いのを鼻にかけて、人を侮り、知ったかぶりをし、人の欠 点ばかりを探す、これはこうまんのほこりであります。